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執筆者の写真nemuridorinagai

サニー・デイ・3月。(6月公演と人形劇について)


すっかり春めいた3月の木曜日🌞! 2月は逃げる、でブログを更新しないまま走り去ってしまいました‥。 さて、6月公演詳細解禁&フライヤー配布開始しました❣️ GIMP導入フライヤー2作目。 印刷したら予測したより色味が沈んでしまった😓💦 プロのお仕事を拝見すると、色校正やフォント・文字組に腕前が現れるなぁー、と思います‥。 題字、文字組で作品のイメージを表せているフライヤーは格好いい。 Tの字、もっと有機的に遊びたかった。。 文字って作れるのかな。。。

今回のタイトルは自分でも吃驚するくらいストレートになりました。 テーマも、フライヤーも、ふたりの在り方も「バシッとシンプルに行こうぜ!」というコンセプト。 人形劇に足を踏み入れて15年目に入ります。 「あなたのやっているのは人形劇なの?」と問われることが時折あります。 相手の持っておられる人形劇のイメージと違うことをやっているということなんだろうなぁ、「いや、そのつもりですが、へへへ。」と答えるけれど、 ここで、人形を用いた芸能はなにをもって人形劇と呼ばれているのだろうかな??という疑問が生じます。 比較的よく知られている人形の形態とちがうものを遣っているからか、(有名なのは、支持層の厚いマリオネット、セサミストリート代表するマペット、ひょうたん島代表するテレビのロッドパペットやハンドパペット、文楽の3人遣い人形‥など?) 複数のキャラクターが登場して物語を語る、という方式をとっていないからなのか、 人形遣いとして不足する部分があるからなのか。 「いわゆる人形劇」概念が通底するほど人形劇が流通していた時代もあったと思うのだけれど、こんにち、日本では残念ながら、一般の方が人形劇を目にする機会は減少していると思います。 蹴込み(手遣い人形劇で遣い手の姿を隠す黒い幕)から遣い手が姿を現したことは歴史的事件であった、と聞き学びましたが、(初めはチェコの人形劇史を研究していた友人の卒論だったかな)そのスタイルが「いわゆる」人形劇と捉えられていた時代もあるようです。

原初まで遡ると、人形劇って最初はオシラサマのように遣い手も観る人も床座でこどもの遊びのように遣っていたのではないかなぁ、と思う。(インドの伝統芸能で、神話を床座で演じる人形劇、内容はクーリヤッタムのような、、、の映像を演出家の遠藤琢郎さんに見せていただいたことがあります。めちゃくちゃ面白かった。)

たくさんの観客に見せるようになっていったら、蹴込がみせやすい、(高さ的にも、視覚的シンプルさでも、アニメーションの魔法がかかりやすいという意味でも)となっていったのではないかなぁ…。

わたしが学生時代に人形劇に興味を持ちはじめたころには、すでにフェスなどでは蹴込みなしの人形劇が盛んに行われており、美大生が興味を惹かれたのは、遣い方自体も変則的な造形の面白い人形、時に遣い手の身体の一部であったり…、遣い手の身体性と人形の関係性、魅力的な動きの現代的なもの‥また、各国の伝統人形劇の圧倒的な遣い手の技量、驚くほどユニークなそのなりたちと遣い方たち、生命と歴史の豊かさ‥などでした。

繁栄の時代と技術を誇る蹴込み人形劇の凄さ‥は人形劇に興味を深めてからのちに遭遇しました。 (オブラスツォフを読むところから📖。)

時代を降れば降るほど、さまざまな手法が混沌とする人形劇。

人形劇って「『いわゆらない』んだな、なんでもありなんんやなぁ!!」という感動が、デタラメな美術学生がこの道に入ってしまった原動力の1つでもありました。 で、なんでもありならば、なんでも面白いかと問われたら全くそんなことはなく。。。 フランスの世界最大級と言われる人形劇フェスに行き、毎日3〜4作品10日間梯子して膨大な人形劇を観て発見したのは、なんでもありを山ほど観てしまうと、造形のインパクトやコンセプトがあーだこーだどーだ、ということは段々そんなに重要ではなくなってきて、自分が面白いと感じる作品は、遣い手にかかっているのだ、ということでした。 人形遣いが良い作品は面白い。 形態はどうであれ、人形が生きていて、動く人形が魅力的なもの、呼吸の素晴らしいもの、人形と遣い手の関係が魅力的なもの、そこに詩や哲学が見えるものが一番面白い。

蹴込があろうとなかろうと、たってようと座っていようと、手法が手であろうと糸であろうと。 なんでもありにみえるなかで、「人間の謎、生命の謎」と「物理の法則」の合いの子である人形劇には、人形が魅力的に生きるためには、確かにおさめねばならない技術が存在します。 それを、実現できたら何やってもなんでもありでも人形劇だ、ということになる‥のかしら。

                                フライヤー用絵、作業途中。マイマー。

「おまえは人形劇をやりたいのか。それとも人形と遊ぶ女の子を見せる、という芸をやりたのか。」

お師匠さんに6年ほど前に問われた言葉です。

もう自身を女の子とは言えない年齢になってしまいましたが、体内で反芻し続けています。

その河を渡って、次の場所に行かなければならない。

もっと人形遣いになりたい。

なにを遣ってもあいつは人形劇をやってるのだな、となりたい。

今回は「Tシャツを着るように👕」人形に取り組みたい、と『Tシャツと人形劇』とタイトルをつけました。 ストレートすぎて、決めたあとにプレッシャーに襲われました…。

自身にとって人形劇の条件ってなんなのか??考えつつ、

それをいまどこまでできるか??

15年目の挑戦、やってみます。 マイマー国井ちゃんも今回はガチでマイムに挑んでいくようです👍 まだ少し先ですが、心して、かつ、楽しみながら、6月に向かっていきたいなぁと思います。 6/28〜30@ムリウイ!! ぜひ、手帳にメモして、お見逃しなく✍️❣️❣️

頑張るぜ。

                              フライヤー用絵、作業途中。人形遣い。



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